ファミリーの1歩先には親子スタイル

共通の言葉が欲しかった

12月、メールでもブログでも何でも、何か書こうとするとつい冒頭で「師走ですね」「慌ただしくなってきましたね」なんて書きたくなるのは何故なんでしょうね。別に12月だからといって特別忙しくなる仕事をしているわけではないのに。なんてことはどうでもいいのですが、今日は、私が特に高校生以降で思っていた「親と共通の言葉が欲しかった」というお話です。

「共通の言葉」というのはつまり、ひとつで構わないので、親子で対話できる共通の分野(世界)を持っていたかったということです。

私の両親はそろって文系。しかも社会学、文学というバリバリの文系で学生時代を過ごした人たちです。対して私は高校から理系で、大学も機械科。両親とも、お稽古ごとの経験がないのに対して、私も含め姉妹弟は、小さい頃から大人になるまでピアノ・書道・華道・珠算とお稽古ごとをたくさんさせてもらいました。

両親は、子どもたちをその存在丸ごと認めてくれましたし、学校やお稽古での悩み事もよく聞いてくれました。

でも、勉強にしろお稽古にしろ、両親と私の経験世界には重なりがないために、私の話す悩みや考えに対して意見を言うときには「お母さん(父さん)は、経験がないからわからないけど」が必ず前置きになってしまうのです。(いま思うと、その言葉があったからこそ、素直に聞けたのかもしれませんが…。もしなかったら「わからないくせに偉そうに!」なんて思ってたかもしれませんね(苦笑))

ただ、言葉の意味がわからなくても、話の終わりまでじっくりと聴いてくれましたので、とても大きな安心感が得られましたし、そういう接し方に対しては尊敬し感謝していましたけれど。

それでもやっぱり、言葉の意味や、言っている状況がぼんやりとしかわからないために、深く突っ込んだ話ができず、直接的なアドバイスも期待できない、自分のやっていることを深く理解してもらえないということが、学生時代の私には寂しく感じられていたのです。背景から説明しないと、本題に入れない(理解してもらえない)ことにイライラして、会話がない日々が続いたりなんてこともありました。親子で共通の趣味があったり、同じ分野を学んでいて、親と具体的に深く突っ込んだ議論ができたり、アドバイスをもらったりできる友達が羨ましく思ったことも。ない物ねだりだとは思うのですけど。

まぁ、大人になった今はむしろ、誰かと対話するときは背景から話すことが当然になってますし、悩みも問題も抽象化して話すことができるので深い話になったりもしますし、経験世界が違うからこそ、視点や思考の違いを発見したりして、楽しんでいるのですが。

そんな経験から、息子とは、何か一つでいいから、お互い自分の経験から話ができるものを持ちたいなぁと漠然と思い、いま一緒にピアノを習っています。息子がどこまで続けてくれるかはわかりませんけどね。

息子が大きくなり自分の世界を持つようになって、私と会話の糸口が見つからない時も、背景の説明なくいきなり「共通の言葉」で話せる分野が一つあるだけで、救われる時があるのではないかなぁと、思いますが、皆さんはどうでしょう? (文:佐田さえ)

※当サイトのコラムはスタッフ個々の私的な見解及び文責にて公開されております。
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