ファミリーの1歩先には親子スタイル

来なかったサンタクロース

サンタクロースを疑う年齢になっても、子どもたちは当然のようにクリスマスには欲しいものが与えられていると信じている。そのために親がどれだけの思いをして日々稼いでいるかなどは全く思い至らない。世界恐慌並みの不景気だというのに、高額なおもちゃが必ずもらえると信じている子どもは少なくない。

世界には、そういった子どもたちの物欲を満たすため、過酷な環境で働かされている幼児もいるというのに。うちの息子が6歳の誕生日に貰ったサッカーボールは4000円近くするが、そのサッカーボールを作った5歳の子どもが手にする報酬はわずか15円という現実があるのに。その子どもたちにサンタクロースが来る日はあるのか。
いや、そもそもサンタクロースはほんとうに必要なのか。


以前、クリスマスが誕生日である私のために、プレゼント代わりとして、クリスマスの思い出について話を聞かせてよ、と言ったところ、ある友人が下記のような話をしてくれた。

ぼくが小学生で、もうサンタが父親なのではないか、と疑い始めていた頃、一度だけ、サンタが来ないクリスマスがあった。
その頃は亡くなった母がまだ元気で、ぼくは毎日のように母を怒らせるようなことばかりしていて、成績も良くなかった。母はクリスマスが近づきだした頃、
「こんな悪い子には、サンタさんは来ないよ」
と言っていたけれど、ぼくは、
「そんなこと言っても、どうせ買ってくれるさ」
と、たかをくくっていた。
しかし、サンタはほんとうに来なかった。クリスマスの朝、弟にはちゃんとプレゼントが届いていたのに、ぼくには一通の手紙だけが残されていた。

「今年、きみは良い子でありませんでした。来年のきみに期待します」

朝食のとき、はしゃいだ弟に、
「おにいちゃんはなにをもらったの?」
と聞かれ、ぼくは、
「なにもなかった」
と答えた。それを聞いた父は、
「そうか」
とだけ言った。その瞬間、ぼくは口惜しさで涙があふれた。絶対に、絶対に、サンタが来ないクリスマスなんて嫌だ。
翌年、ぼくは学業も、スポーツも、家の手伝いも必死にやった。慣れれば苦ではなくなったし、ぼくにはサンタと、父に対しての意地があった。いやになったときは、サンタの手紙と、父の「そうか」を思い出し、ちくしょう、と思いながら頑張った。
そしてクリスマスの朝が来た。ぼくにはプレゼントが二つと、手紙があった。
「今年のきみは素晴らしかった。去年の分も置いていきます」
ぼくは父に言った。
「プレゼント、二つ、もらった」
「そうか」
ぼくはまた泣いた。なんでだかわからないけれど、涙が止まらなかった。

こういう人だけど、ぼくがいちばん尊敬している人は、父です。

私は感激のあまり、泣いてしまった。
モノを買い与えるのは大変だけれども、楽な行為である。
安易にプレゼントを与えず、一年間黙って息子を見守り続けるというのは、親にとってもそうとう辛いのだ。彼のお父上はそれをしてのけた。誰もができることではない。

クリスマスは赦しと感謝と愛の季節である。それを身を持って教えてもらうことのできた友人は、昨年、父親になった。
彼もいつか、悪ガキにむかって、「そうか」という日がくるのだろうか。

(文:平野だい)

※当サイトのコラムはスタッフ個々の私的な見解及び文責にて公開されております。
ポチッと一票↓↓↓お願いします
人気ブログランキングへ にほんブログ村 子育てブログ 第2次反
抗期(思春期)へ
  • クリスマス、プレゼント、父と息子
カテゴリ一覧