ファミリーの1歩先には親子スタイル

会社は「日本語」を教えてくれません

まだ3月も半ばですが、なにやらの招集があるらしく、初々しいスーツ姿の一団をしばしば目にします。ファッションからマナーまで、新社会人が身につけなければならないことが山ほどあるのは、今も昔も変わりません。

仕事のすすめかたの面で、ぼくの新社会人時代と特に大きく変わったのは、書類も「ほうれんそう」(報告・連絡・相談)も、そのほとんどがメールで吐き出されることではないでしょうか。

何十年社会人やってるんだとという感じなのですが、ぼくはいまだにメールが苦手です。いろいろ理由があるなかで、最も大きな理由は「最後の手書き文書」世代ゆえの違和感ではないかと思っています。
 


就職当時、キカイは受発注端末くらいしかなく、ワープロが入りはじめていたけれど編集機能もプリンタもかなりいまいちでした。重要な挨拶状であれば「ワープロじゃ失礼だから手書きにしよう」なんていうことが普通でした。
特に取引先に対しては、封筒、綴じ方、添え状、切手の貼り方までが気合いを示し、また受け手にとっても誠意を量る要素でした。まさに石井雅章先生のおっしゃる「郵便リテラシー」が要求されていました。

これに対してメールは、重要な顧客とのやりとりから社内連絡や雑談、スパムまでが、何もかもが混在しています。郵便や紙文書の時代は、少なくとも封筒や書類の体裁が目に見えますから、机にどれほど山積みで散らかっていてもおのずと重要度や優先度に気づくことができました。メールはフィルターやルールづけで仕分けることもできますが完全ではないし、特に「文章表現」そのものはキカイでどうしようもありません。

 

ここ数年、メールなどのビジネスの場での日本語が「ヤバくねえか?」と気になることが増えてきている気がします。例えば、
 ・配慮のない漢字変換の多用。
  特に「御座居ます」系など謎の敬語。
 ・読み難いインライン(引用での返答)やEOM
  (end of message:件名部分だけで用件を伝える)。
 ・どうでもいい全履歴。
  ついには誰が読んでいるか誰にもわからないC.C.や
  ML(メーリングリスト)。
などなど。余談ながらC.C.=カーボンコピーの現物を使ってましたからねえ。

効率とスピードとのたたかいのなかでやむを得ない部分はありますが、問題は「もはや誰が読んでいるかわからない」ことだと思います。さらにはコピー&ペーストで量産される企画書や提案書も、メールと同様に日本語の体をなしていないものが多すぎる気がします。

つまり、社内や現場だけならともかく、ぼくより上の世代の上司や重要な取引先のマネージメントにとって、ちょっと「読むに耐えない」ことが多すぎるのです。
年寄りのグチの部分こそあれ、そんな心理的バイアスは、評価や成果に当然影響するはずです。
会社は「誤送信が重大な情報漏洩事故」だとかは教育するでしょうが、さすがに「日本語の指導」はしてくれません。

 

そんな折、子どもの学校の来年度の履修説明を聞くと、中学・高校あたりの入試戦略でも、これまでの英数重視に加えて「国語強化」に動いているようです。直接的には入試での設問理解や記述回答での危機感だと理解できます。それ以上に、ビジネスでの日本語表現のヤバさはもっと困った問題だと思います。「読解力と表現力」といってしまえばごくシンプルですが、これはテクニックではなく、やはり日本語に対する感性や相手を思う想像力だと思います。

誰とシェアしているかわからない膨大なメールのやり取りを、ぼくのような「紙世代」の上司や顧客が読んでいることを、送信の瞬間に想像して欲しいと思います。

ちゃんとした日本語が書けていれば、髪が金色でもピアスでも会話がタメ口でも、ぼくは大目に見ます、というよりもむしろ尊敬しちゃいます。そもそも自分の日本語があやしいですから。

(せきね けんいち)

親子スタイルアドバイス
■お勧めの対象 生徒・学生のみなさん
■コメント 日本語リテラシー?を学ぶには読書やビジネスメールのハウツーを知るよりも、様々な人に対して表現する機会をどんどん体験するのがいいです。飯田豊先生のワークショップの取り組みはとても参考になります。学校や地域ごとの同様の機会をみつけましょう。
ほんとに先生方だけが頼りです(笑)。
■参考 思春期のメディア、その魅惑と可能性
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