ファミリーの1歩先には親子スタイル

阿修羅像と祖父

私にとって、夏と言えば、母方の祖父である。
口の悪い子どもたちに、

「動いたきり老人」

と呼ばれるほど、死の直前まで教え子たちに慕われ、これといった病に倒れることも、介護の迷惑もかけず、数年前に他界したことからわかるように、ほんとうに活発で、健康で、正直、うざいほどにエネルギーに満ち溢れた人であった。
彼が戦争も震災(宝塚に住んでいた)も乗り越え、曾孫まで抱いて往生したことは、誰も不思議には思わなかったほどである(下手したら曾孫の結婚式くらいは生きてるいかも、と、逆に怯えさせた)。

教師という職にあった人は、死ぬまで教師なのか、祖父は定年退職後も、孫である私や従弟達を連れて名所旧跡仏閣巡りをするのが好きであった。歴史が好きと言うよりは、たんに引率したいだけなのでは?と疑うこと度々であったが、お陰で私は奈良・京都の国宝は中学卒業までにほぼ見たような気がする。


ご存知の方も多いだろうが、真夏の京都・奈良は暑い。東京や千葉の比ではない。大阪で生まれ育った従弟たちでも、炎天下、てくてくと歩けば、じゅうぶんに疲労困憊できるほど、日中の暑さは凄まじいものがある。しかも奈良の場合、寺はほとんどが郊外。駅からそうとう歩くところも多い(今はだいぶ違うと思うが)。
しかし、鉄砲で有名な雑賀衆を先祖に持ち、陸軍将校でもあり、教員生活を長く送った祖父の足は頑健そのもので、ひ弱な町っ子の孫たちを置き去るようにすたすたと先を歩いていくので、迷子になってはたまらん、と必死で追いかけ、ようやく目当ての神社仏閣に辿り着いた頃にはふらふらになりつつも、

「なるほどー。確かにお寺って涼しくできとるなあ」

と、古代人に共感したものである。とはいえ、しんどいことにはかわりなく、一度、祖父が奈良の山道を延々と歩いていた際、疲れてたまりかねた従弟が、

「おじいちゃん、休もう」

と言ったのに対し、

「まだまだや!なさけないなあ。おじいちゃんがくたばってからや!」

と祖父が笑いながら答えた瞬間、従弟が、

「・・・くたばればいいんやな」

と、低く呟いたときには、思わず、手伝いましょうか、と言いかけた。

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そんな灼熱の国宝地獄めぐりであったが、祖父のお陰で、私も従弟も歴史には強くなれた。教科書の写真でただ眺めるのと、実際に古代の美しい微笑みを目の当たりにするのとでは、やはり感動は違った。
もし、祖父が古代の美や、時代を残した風景を体感させてくれなかったら、私たちは日本人として、とてもたいせつなものに気づかずに成長してしまったかもしれない。

先日、上野で開催されている「阿修羅展」のチラシを駅で見つけた。
その瞬間、生前の祖父の笑顔、従弟たちの汗ばんだ顔、灼熱の奈良に吹いていた清らかな風などの、遠い夏の日が私の脳裏に蘇った。

祖父はとても深く、私たちを愛してくれた。ほんとうは化学が専攻だったのに、私たちのために、名所旧跡をめぐり、戦争や若い頃の思い出を語り、わがままな孫たちをなだめながら歩いてくれた。
新幹線のホームで、いつだって祖父は私を待っていた。私が東京駅から新幹線に乗る前から待っていてくれた。
それなのに、私たちはいつしか祖父をないがしろにし、一緒に外出することを嫌がり、電話までろくにしなかった。
晩年、祖父はだいぶボケかけていたが、曾孫である私の息子から電話があると、しゃきっとした声で、楽しそうに話していた。

孝行したいときに、じいさんはいないのである。
だからせめて、息子を連れて、美しい阿修羅像を観に上野に行こうか。
ママはおじいちゃんと一緒に観たよ、と、昔話をしながら。
(文:平野だい)

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