ファミリーの1歩先には親子スタイル

オンナコドモにゃわかるまい!

ひところは、子どもの問題を語るとき、マンガ・ゲーム・そしてアニメも「悪者」でしたが、それが今や日本を代表する文化産業。政策で語られたり、この夏は巨大ロボットがオリンピック招致にがんばっていました。

アニメの需要層が子どもから青少年にまで広がったとはいえ、そのテーマは「主人公の成長」がほとんどである点は、昔から大きく変わらないと思います。特に10年くらいは、制作者の人々が人生を重ねたことで作品のメッセージが深められたことが、世界的評価につながったのだと思います。

昔、アニメ雑誌でしか目にしなかったスタッフの人々が、最近はテレビで「巨匠」として若者一般に人生を語る機会が目立ちます。すなわち、制作者たちが深めてきた問題意識は、やはり「人間の成長と教育」にあったと思います。


ジブリと並ぶ日本アニメの双璧といえる押井守氏が、こんな本も書いています。
「凡人として生きるということ」(幻冬舎新書)
タイトルの意味するところは、若者における「特別な自分探し」へのアンチテーゼ、ということです。さらに昨年公開の映画「スカイ・クロラ」への思いを語るという営業的な企画であることも、タイトルからはちょっと想像つかないのが良心的っぽいです。

彼はもちろん教育者はないので、いいたい放題(オヤジの暴言に近い)なのですが、オトナになりたくない若者への切々たる「問い掛け」であり、それが映画自体のメッセージになっています。語ると長い人の一人ですが、新書本くらいであればファンでなくともさほどツラくないと思います。

押井氏に限らず、ベテランのアニメ作品は何かと難解ですが、作品と本人の思いをセットでみられる点で、便利でわかりやすいケースです。

なお、「スカイ・クラロ」自体は、思春期で身体の成長が止まり、精神は大人のように枯れた戦闘機乗りのお話。タバコと酒とドッグファイトの無感動な日々を描くことで、「オトナなれないこと」の問いかけています。(主人公のタバコの本数はアニメ最多?)

ところで、最近、若い頃に見たアニメを久しぶりに見ると、どうしても父親キャラを追ってしまいます。そして父親像の描きぶりに制作者の年代がよく現れていることに気づきます。若手の作品だとあまり熱心に描かれませんし、へたをすると完全に父親不在です。
ベテランの作品になると、「役立たずの脇役」ながら十分な存在感で描かれます。そして数少ない「投げやりなセリフ」が、実は制作者の真のメッセージの発露とも思える、ことが多いのです。
つまり、子どもにはわからない「オヤジな」心情がかなり描かれているっぽい、のです。すると作品の印象もまったく違ってきます。

アニメに限らず様々な作品の解釈は個人個人で違って当然ですし、特に子どもは年齢なりに理解すればいいと思います。ただし、最も制作者に近い視点を持ちうるのは、父親たるぼくたちなんだろうと思います。

アニメだからといって家族揃って見ることはありません。引きこもってガンガン深読みすれば、オヤジとして思うところは非常に多いはずです。そして、嫌われない程度に子どもたちに語ってやりましょう。

※当サイトのコラムはスタッフ個々の私的な見解及び文責にて公開されております。
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