ファミリーの1歩先には親子スタイル

娘たちの反抗期を振り返って(二女編)

前回「長女編」を書きました。今回は二女の場合を書いてみたいと思います。


反抗期は小学校3年の学級崩壊からはじまりました。4年で担任の力量によって立て直すものの、6年の夏前まで続きました。
そして恥ずかしながら、子供が荒れていたことに本当に気づいたのは6年生の1学期でした。
二女の場合は家庭の中での反抗ではなく外でストレスを発散していたのです。
後になってからポツリポツリと当時のことを話してくれました。もう時効だと思えるくらい時間がたっていたので感情的にはなりませんでしたが、リアルタイムだったらとてもまともには聞けないような話ばかりでした。本人にしても当時がこれまでの人生の中でもっともブラックだったと言っています。


娘はクラス委員や学芸会の主役などをやりながら、一方で大人がわからないようにワルをやるいわゆる知能犯的なところがありました。自分の思い通りになる数人の友達を従えてクラスの中でも強い勢力のグループを作っていたようでした。

小学校3年生のときに、若い美術の教師が担任になり、そのクラスはあっと言う間に学級崩壊状態になりました。教師の威厳がまったく地に落ちている状態では、何一つ言うことを聞かせられず、毎回担任が「あなたたちはなんでそうなの」と言って泣いてしまうようなクラスでした。
クラスは汚く荒れ放題、プリントを持ってこないなどはあたりまえ、給食袋も持って帰ってこず、親の授業参観のある日でさえ、立ち歩いたり、黙ってトイレに行ったり、飛行機を飛ばして遊ぶ子がいたりして、愕然としました。親が交互に授業を見に行ったり、教頭や校長が立ち会ったりで、どうにか3年の1年間担任交代はなかったですが、3年生の勉強はすっぽり抜け落ちている状態でした。

そんな中で裏で子供たちがどうなっていくかといえば、ボス猿的存在が現れそれを中心に主従関係ができます。もちろんやりたい放題なので、悪いことのほうが面白いわけです。
まだ3年生の幼い頭で考えることなので、いわゆる中高生のような非行ではないのですが、学校内での稚拙ないじめや悪質ないたずらは横行していきました。
そういったサバイバル状態に陥った子供たちは弱肉強食をいち早く悟り、強くなくては生き残れない、そうでなければ服従あるのみということを理解したのです。
クラスのボス猿は大変頭のいい男の子でした。ただ頭がいいだけでなく、お笑いなどでもセンスがあり、人気ものであるのと同時に誰一人逆らえないような状態だったそうです。
にらまれたら給食のおかずさえもらえない(集団でそういったいじめをする)状況でした。
娘はそのボス猿が好きで、あこがれていたところもあったようでした。

今でさえ言うのもためらわれますが、当時(小学校高学年)は集団や一部のグループでこのくらいのことはやっていたようです。

・わざとうわばきを隠して、授業を中断させてみんなで探させる
・あちこちのトイレにティッシュをいっぱいつめて詰まらせる
・先生にワープロで嫌がらせの手紙を書く
・ホームレスを集団でからかう
・ピンポンダッシュ
・親の財布から気づかない程度のお金をくすねる
・塾をサボってゲームセンターで遊ぶ
・ネットでエロサイトを見る
・校則で入ってはいけない多摩川に入って遊ぶ

そういったことに気づくことになったのは、娘が従えていた友人の逆襲からでした。
最初に家のドアに「S死ね」と書かれました。娘の自転車にはアイスがどろどろぶちまけられていました、娘が大事に育てていた花は全部引っこ抜かれました。
いつも遊んでいる友達がやったとわかったときにはかなりショックを受け、うちの娘が被害者だと思い学校にすぐに連絡しました。

でも状況がわかってくるうちに、実は被害者である前に加害者であることがだんだんわかってきたのです。娘はその友達たちにこれまでいろんな命令をしてきて、その子たちはいやなことでも断れなかったというのです。学校の先生やその友達のお母さんも含めて話し合いをしたのですが、学校側も証拠はないものの、悪質ないたずらの一部に娘がリーダー格として噛んでいるのではないかと思っていると言うのです。

「うちの子に限って」最初はもちろんそういう気持ちでした。
でも激しく問いただすと、次第に娘の言うことに矛盾が生じてきたので、さらに詰問し娘もとうとう自供しました。
娘を強く叱って一晩親子で泣いて、もう二度としないということを誓わせました。
そして、それから少しずつどうしてそういう気持ちになったのかを聞いていきました。

家庭としての一番の原因は私の「無関心」にありました。
本当は決して無関心のつもりはなかったのですが、娘にはそう映っていたようです。
ひとつには私が仕事でもっとも忙しい時期でした。複数の種類の仕事を夜昼土日なくやっていました。仕事が乗っていた時期でもあり、子供は病気でもしなければ二の次になっていたかもしれません。複数の仕事を同時にこなし、学校の役員もやり、子供もちゃんと育てていると自負していた部分もありました。でも、このことで親としてのプライドは地に落ち、本当の子供の心を見てあげられなかったことをとても悔やむようになりました。

またもうひとつは私の「関心」が常に長女に行っているというコンプレックスでした。
確かに長女とは基本的に趣味嗜好が似ていて話が合うのです。
長女には期待をして厳しく接していたので、長女はそれがいやで仕方がなかったようですが、逆に二女は「うちの主役はおねえちゃんだ、ママはおねえちゃんのことしか興味がない」と思っていたようです。可愛がってはいたんですけれどね、たしかに二女に関しては愛玩的であったようにも思います。

娘は親や祖父母にはつらつとしたカワイイ笑顔を見せながら、成績も悪くはなく、学芸会で主役を演じ独唱するなどをやって大人を喜ばせ、一方裏ではそんなふうにストレスを外で発散していたのです。
きっとどちらも本当の姿なんだと思います。自分をわかって欲しい、見て欲しいという表れだったと思います。

その一件があってから、私は仕事を減らし、娘は部活動が盛んな私立にいれることにしました。当時荒れていた公立にやったらそれこそ取り返しがつかないことになると思いました。
受験に間に合うかどうかぎりぎりの時期でしたが、なんとか夏から頑張って合格しました。
中学生ではバトン部で厳しい練習を経て3年次には副部長として全国大会にも行き、精神的にも大分大人になりました。

もともとの性格もあるので、その後もちょこちょこヤンチャしたり、ヤンキーっぽい彼氏と付き合ったりもしましたが、そのブラックの時期ほど、他人に迷惑をかけることを面白がるようなことはなかったと言っています。

娘とトラブルがあった子達は今でも幼馴染として時々付き合ってます。
卒業後一度小学校にも遊びに行って、当時迷惑をかけた先生にも「あの頃はいろいろ問題起こしてすみません」と言ったそうです。

娘のざんげは終わったのでしょうか?
娘は「自分がやったことは全部因果応報で返ってきた、いじめることもいじめられることもあったけれど、結局起こっていることはすべて自分が種をまいたことの結果だということがわかった」と言っています。
昔自分がした「悪いこと」を悔いているのであれば、人の役にたつことをしたりして、どこかで帳尻を合わせて欲しいと思います。

現在は熱心に大学に行き、アルバイトを2つ掛け持って他大学のダンスサークルにも入り、充実した大学生活を送っています。
「もうヤンチャはやりきったし遊び尽くした、これからはまじめに将来のことを考えてやっていく」と言っています。元ヤンがパパになったときに言いそうなセリフです(笑)

また今は私のよき話し相手でもあり相談にものってくれます。
長女とは違う世界を見せてくれる二女のこれからをとても楽しみにもしています。(文:大橋ゆり)

※当サイトのコラムはスタッフ個々の私的な見解及び文責にて公開されております。
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