ファミリーの1歩先には親子スタイル

「おじいちゃんがいってたんだ・・・」

父親が息子と「対話」するといえば、「まァちょっと座れや」とか「ちょっと一杯行こうか」みたいなシーンを想像するかもしれませんが、実際のところ「そんなのない」です。
したくもないです、あっ、ムスメさんとならありそうな気もしますが、ウチはムスコだけなんでどうなんでしょうかねえ。


ましてや、将来とか人生にかかわる対話など、この先もしないでしょう。かろうじての日常会話か、ちょっと語るとしてもアイドルやら音楽ぐらいです。そもそも、オトーサンなんぞはココロもフトコロも狭いので、息子の成長に構ったり感慨してる余裕ないです。

まったく読書家ではないので、たまたま最近読んだだけなのですが、
「流星ワゴン」(重松清)と、「プリンセス・トヨトミ」(万城目学)
どちらもよく似た読後感だったのでした。「どこが?」といえば「父親との息子の対話」が重要な役割を担っているところなんですね。しかも、たぶん父親の立場にないとあまりそういう読み方はしにくいかもしれません。

具体的な共通点は、物語が発動するきっかけが「父親の死」で、核心となる「対話の場所」が「あの世ともこの世ともつかないところ」であることです。
まさに昔話やファンジーでの男の子の成長譚の典型「父の死と対話」ですね。(「姫を守るんじゃ・・・。」とか言い残すってやつです。ちょっとネタバレかな)

さらには、2冊とも舞台は「昔々のある星」とかじゃなくて、「現代日本のそこらへん」、なのも共通しています。ところが「父と息子」の対話の時になると、「現代日本のそこらへん」にかなり強引にファンタジーな世界が出現します。(舞台がちょっと知ってたりするところなのもありますけど。)

いずれにせよ、「父と息子はどうあっても現実の中では対話しない」らしいです。

ところが、個人的な感想かもしれませんが、ぜんぜん絵空事に思えなくて、父親と息子の関係のリアリティを感じました。たぶん「ほんとうの対話」は、父親としての自分が死ぬとかの時に、「あの世ともこの世ともつかない」思いの中でだけ存在するんだろうな、というイメージです。

男の子の自立が「父親を乗り越えること」というストーリーは、昔話のお約束である以前に、やはりどこかに刷り込まれている感じがします。父が他界したときも、まさに「そんな感じ」でしたから。

それを、ずばり描いちゃうと、荒唐無稽でコミカルなファンタジーになってしまうのですが、むしろそのほうが感情移入がしやすんですね。
つまりは、男性は生涯に二度ばかり、しばらくアチラの世界にいっちまう時があるようですので、その時がきたら温かく見守ってやってください。

(せきね けんいち)

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