ファミリーの1歩先には親子スタイル

「親の心配」は時として子供のチャンスを妨げる

最近母と喧嘩をしてひとつ気づいたことがある。
「親の心配」は時として子供のチャンスを妨げるということだ。

母親というのは多くの場合、心配症で口うるさい。子供がいくつになっても世話をやき、いらぬ小言を言ったりする。たとえ自分の娘が40過ぎであろうと関係なく、子供が失敗しないように「自分が言って聞かせないといけない」と思うのだ。
「また言っている」と馬耳東風で聞き流していればいいのかもしれないが、なまじっかちゃんと対話しようとすると妙に腹がたったりするのだ。

先日は少々仕事で気疲れしていたこともあって受け流せずに反撃に出てしまった。
でもそのときに、娘と喧嘩したときに娘から言われたひとことを思い出した。
「それって私のことを信じていないってことでしょ!」
その言葉をそっくりそのまま母に言っている自分に気づいて、娘の気持ちと母の気持ちの両方を同時に理解したのだった。


母性の中には多かれ少なかれ「子供が失敗したらどうしよう」という負の発想が組み込まれているように思う。
「うちの子は間違えるかもしれない」「うちの子は騙されるかもしれない」「うちの子がひどい目にあうかもしれない」、その妄想が先行して、自分が事前に食い止めないといけないと思ってしまうのだ。
そして子供に言う事で、自分の責任」を果たしたような気になる。要するに言ったことで自己満足、自己完結してしまうのだ。

でもそこに「子供の気持ちを考える」という過程を飛ばしてしまうと、どんなに心配しても子供には伝わらない。一般論をただただ繰り返し言っても効き目はあまりない。

ある程度の年齢になれば子供だってそれなりにものを考えていないわけではないので、親がくどくど言うことくらいのことはわかっていることが多い。
逆に「なんで、そんなに自分のことが信用できないんだろう」と自尊心を傷つけられてしまうのだ。
特に思春期・青年期の場合、自我が強い分、反発も大きくなる。反発しない場合、逆に何も親に言わなくなってしまう。

子供が「こうしてみたい」ということが親の意向に沿わない形だった場合、失敗したときのことを想定してあたまから否定したり、反対するのはあまりよい結果を生まない。
「心配」は愛情の形だといくら親が信じても、子供に伝わらなければ意味がない。

まずは子供の心を知る努力をするべきだと思う。
なぜそう思うのか?なぜそれをやりたいのか?
そして、子供に聞いてみるといい、それをやるとどういうメリットとリスクがあると思うか。
そのリスクをカバーできるほどの対策を持っているか。
子供自身によく考えさせて答えを探させたほうがよいのだ。言わずに見守る忍耐力が必要なのだと思う。
もちろん親としての意見をいってもよいけれど、それはあくまで助言であって否定ではない。

失敗させたくない親心があったとしても、あえて何も言わないという選択もある。
「自分の出した結果に責任を持つ事」「失敗から学ぶ事」「自ら痛い思いをして学ぶ事」はいずれ強い武器になるからだ。

子供を信じて任せる事、そして見守り、万一子供の選択がいい結果にならない場合、受け入れて支えること。
そういう大きな観点で子育てしたいと思うが、そこが難しいところで、頭で考えることと、本能から出る言動がなかなか一致しない。

新しい経験は多かれ少なかれリスクを伴う、でもそこを乗り越えていかなければ成長しない。
もちろん命に関わるようなリスク、取り返しのつかないことになる可能性を排除するのは親として当然だけれど、親の過剰な心配は子供の成長のチャンスを妨げることにもなるということを頭の片隅においておいたほうがよいと思う。

自分の「心配」が自己満足でないかどうか、一度考えてから発言するのでも遅くはない。
(文:大橋ゆり)

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