子どもの頃の体験や人に言われたことって、ずっと頭の片隅に住みついて、自分で自分を縛り付けてしまうような気がする。
幼稚園のとき。
何人かで園庭で遊んでいるとお迎えに来ていたお母さんたちの会話が聞こえてきた。「○○ちゃんって、『運動神経』がいいわよね」
そのとき、思ったのだ。
「"ウンドウシンケイ"ってなに?私は"ウンドウシンケイ"悪いの?」
そのとき、生まれて初めて「運動神経」という言葉を覚え、世の中にはそれがいい人と悪い人がいるということも知った。そして、私はどちらかというとあまり運動神経がいいほうではないようだ、ということを悟るようになる。
そしてさらに、幼稚園の運動会。
テレビのマラソン中継をみて、「かけっこ」というものはわりとゆっくり走るものだと思い込んでいた私は、「よーい、ドン!」の掛け声がかかるとマラソン選手よろしくスローペースでスタートした。が、ほかのみんなははるか先を全速力で駆け出しているではないか!!
そのあとショックで泣きながら踊ったフォークダンスは今でも鮮明に覚えている。これ以来、「かけっこ」はトラウマとなり、運動会が大嫌いになってしまった。
小学校のとき。
家庭科で雑巾を縫う課題があって、先生が順番に生徒に作品を返していった。
「○○く~ん。××さ~ん。・・はい、ここまでは上手なひと。」
なんと先生はそこで上手、下手の区切りをつけたのだ。私が呼ばれたのは、そのあと。
その時点で「私はお裁縫が苦手だ」ということがインプットされた。
それ以来、縫い物は大嫌いに・・。
子供のころのこれらの原体験によって、
私は運動神経が悪い。
私はお裁縫が苦手。(不器用だ)
という概念がしっかりすみついてしまって、走ることや裁縫に関して拒否反応を示すようになってしまった。
努力すれば足が速くなったかもしれないし、裁縫だって上手になったかもしれない。けれど、苦手意識が先に立って挑戦しようともしなかった。
やる前からあきらめていたのだ。
凝り固まらずにどんどん挑戦していれば違う自分がみえていたかもしれない。
追記:逆のパターンもあった。
小学校2年生の通信簿に、「しっかりしている」と書かれて以来、「私はしっかりしている」と自信をもてるようになったのだ。(本当は全然しっかりしていない、とうことに大人になってから気づいたのだが)
(文:山口るみか)
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■コメント
自分で限界を作ってしまったら、それ以上の成長はないのです。
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子供のころに言われたり、感じたことって、当人にとってとても深く残っているものですよね。
私は、歌です。
幼稚園くらいの頃に、ご機嫌よく歌を歌っていたら、当時の我が家のお手伝いさんが、だれかにそっと「この子音痴やね。」といったのを聞いてしまって、以後人前で歌を歌えません。
音楽の歌のテストの日は一日憂鬱でした。
カラオケなんてとんでもない。
いつか自分でこの殻を破る日が来るかなと、まだ一応あきらめてはないのですが。
りこさん
お手伝いさんは何気なく言ったのだろうけど、いわれたほうは傷つきますよね・・
殻を破って、歌ってみてください!
先日、息子の担任の先生が、
「小学生のうちは、子どもが他者の評価に自分のキャラクターを合わせることがあるのに、少子化で児童数が少なくなると下克上のチャンスが奪われてしまう」
というようなことをおっしゃっていました。
ほんと、良くも悪くも暗示って怖いですよね。
そしてりこさんの「お手伝いさん」にびっくりです。
お嬢様だったんですね・・・