ファミリーの1歩先には親子スタイル

捨てる「ネ申」あれば・・・

このところ「断、捨、離」とかが流行ってるとかで、うちの奥さんも週末ごとに家の大整理をしています。しかし、出るわ出るわ出るわ、毎週出るごみの量がいっこうに減りません。狭い家のどこにあったのかまったく謎です。


毎週毎週、家の中が大掃除状態の修羅場になってるのを、ぼくとしては「謎です」とか他人事みたいに見て見ぬ振りをしているのでありますが、なぜかといえば、そりゃあ巻き込まれたくないからです。

そう、ぼくは掃除とか整理とかが「だい、だい、大っ嫌い」なんであります。とにかく、捨てられない・片付けられない野郎なんです。押し入れの奥深くには何の利用価値も希少価値もない「完璧なガラクタ」が累々と眠っております。

で、息子の部屋はというと、絵に描いたような足の踏み場がないというやつで、床が見えるのは年に数回くらいの上級レベルなので、案の定というか、まあ完全にぼくと同類のようです。

仲間と思えばこその弁護になってしまうのですが、若いうちは「片付けなくてもどこに何がある」というのがわかるんですね。どれほど散らかっていても、頭の中は見た目と違ってかなり整然としている。
むしろ、今「やりたいこと」が常に最上層にある、という単純明快な「野口式な超整理」だったりするわけです。
まあ、「片付けなくても迷わない」という頭の柔らかさがある若いうちは、キノコが生えない程度の清潔を保てばよかろうと思うわけです。

とはいえ、さすがにいい年になると、記憶は目に見えて落ちていきますし、ちょっとこんがらがると頭もフリーズするんで、生活に支障が出ない程度には片付けるのですが、基本的に整理とか捨てることは、思い切り苦痛です。
最近、自分が欲しいモノがないのも、何もロハスってわけでなく、単にいよいよ「何もかも片付けるのが嫌」になっただけかもしれません。メンタル的にはあんまり健全じゃない気もしますけど。

ところで、昔(ってほんの10年くらい前までですけど)のマーケティングというのは、大家族を核家族にバラし、とっとと独立させ、さらにはずるずると結婚させずに、とにかく世帯数とすまいを増やすことで、モノを売ったもんです。これが行き詰まれば、モノを買ってもらうには、まず捨ててもらわないとなりませんからねえ。

まあ、「捨てる」が女性に流行ってるていうのも、捨ててまで「欲しいモノがある」ということでしょうから、たくましいなあ、と思うばかりです。「ガラクタ」と「お宝」の違いが、「昔、欲しかった・・・」ではなく「いま欲しい!」ということであれば、多少モッタイなかろうがエコでなかろうが、目をつぶるしかありません。

イトカワでわざわざ「拾ってきた」10ミクロン以下の宇宙の藻くずがお宝だなんて、違った意味で「拾う神」なんではなかろうかと、きょうもごみ袋の山をみながら思うのでありました。

(せきね けんいち)

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