ファミリーの1歩先には親子スタイル

オトナになると思っていなかった頃

「思春期って何だったんだろう」なんていうのはまさに永遠の問いだったりしますし、「オトナになるプロセスだよ」みたいなオトナたちの説教も、親の立場になった最近でもあまりピンとこなかったんです。
子どもの成長はあっという間とはいえ、親からみればいつまでも子どもですし、ましてや自分自身の過去を振り返るのもオソロシイ。

ところが、「コドモってやっぱりオトナになるんだ」というのが、手っ取り早く一目で納得できる機会がありました。


実は忘年会の一つが、5年生までいた小学校の同窓会でした。

「5年生までいた」というのがミソで、つまり転校したので卒業アルバムに載りませんでしたから写真も名簿もなく、ぼくは「なぞの転校生」状態だったわけですが、たまたま某SNSでお互いを発見。それじゃということで、30数年ぶりの同窓会となったわけです。

もうひとつのポイントは、記憶が「5年生」時点で止まってること。転校後の消息はまったくなかったんです。

別の地域の中学とかの同窓会はありましたが、卒業のころは15歳ですから、それなりに人となりや得意分野の「芽」ぐらいは出ています。その後お互い多少フケようとも、当時の印象の延長上でだいたい納得できる範囲です。

ところが、小学校の4・5年生ぐらいの記憶は、お互いが「いずれオトナになる」ことをまったく意識してないんです。「コドモ」という別のイキモノ同士みたいな感じです。
思春期あたりからは、友だちとかも自分の意思で選んでいきます、小学生ぐらいだと何の先入観もなく、かなり本能的なところでツルんでいるだけです。

ちなみに異性に対しても「シタゴコロ」とかも存在していません。おお、なんという美しい世界に生きていたのでしょうか!(単にスカートめくりがなぜイケナイかわかってないアホガキだったわけですが・・・)

なんていうのも、最近の中年向けのドラマや映画だとよくあるパターンですねえ。小学校の中学年あたりはまだ昭和40年代、ホントに原っぱには土管が転がってましたから。

そんなわけで、記憶自体が「タイムカプセル」状態ですので、当時の友だちやできごとと、実際に目の前に集まっているオジサンオバサンたちを結びつけるということが、なんだかとても理解しがたい、不思議な感覚でした。それは、30年で風景が変わったとか、万博が懐かしい、とかじゃないんです。

つまり「ホントにコドモはいつかオトナになる」というリアルをあらためて知った、といえば伝わるでしょうか。

で、酔いも回ってくると、100倍速ぐらいで数十年の経緯を語ったりするんですが、まあたいがいの話は「中学?高校ぐらい」だけが長くて、大学とか社会人以降はあんまり言いたいこともないって感じです。
「いかにこういうオトナになったか」を語ろうと思うと、やはり中学・高校あたりのできごとがかなり意味を持っている、というあたりは誰でも同じみたいです。

何の考えもなしに遊んでいた当時の「コドモ」である自分たちは、そうとう美化すればみんな「原石」みたいな存在で、お互いが知らない間に人間として磨かれた結果、今こうして「オトナ」としてなんとか生きてる。しかも最もガシガシ磨かれるのは、やはり10代あたりなんだなあと、思ったのでした。

最近は、いつまでも「自分探し」を完結しにくい時代みたいになっちゃってます。やはり「自分を磨く」のは、アタマもカラダも柔らかい10代が望ましいのだろうけど、そのへんが、ちょっとうまくいかなくなってるんでしょうか。

むしろ、ぼくらの頃が「わかりやすすぎただけ」なのかもしれません。まあ、周りから見れば、テンション高いオジサンオバサンのヨッパライ集団でしたけどねえ。

(せきね けんいち)

※当サイトのコラムはスタッフ個々の私的な見解及び文責にて公開されております。
ポチッと一票↓↓↓お願いします
人気ブログランキングへ にほんブログ村 子育てブログ 第2次反
抗期(思春期)へ
カテゴリ一覧