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身近な心理学・倫理学・社会学
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12月も20日を過ぎると、プレゼント探しや誰とどこで?の騒ぎも一段落、「オーセンティックなクリスマスとは何ぞや」といった話題に落ち着きますね。

ここまで宗教色が消えていること自体が十分不思議ですが、伝統を追求するとやはり「宗教行事」に行き着いてしまいます。
サンタにケーキにツリーにイルミネーションまでがすっかり馴染んでしまった一方で、定着しない風習も多いようです。

たとえば、西欧の家庭の暖炉の上や教会の入り口にある、
マリアさまとか羊とかのフィギュアを並べたジオラマ?!」
これは、そもそも何というモノ?
(↑こちらは東久留米の教会音楽の学校。シーンを分けて作る本格派。)

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この記事には異論反論がいっぱいある人もいるだろう。
でも、こんな考え方もあると、まず「一旦は心に受け止めていただいて」から、反論をいただけると幸いである。

自分の父は中卒であるが、読書家であって忙しい仕事の合間をぬって老荘とか、史記などの中国の古典などをよく読んでいた。
その影響もあって、自分も本を読むようになったわけである。

ところがこの父は血の気が多く、激昂すると長靴をはいたまま子供を蹴ったりしたものだ。

しかしながら自分はこの父が決して嫌いではなく、今は尊敬しているのである。
まだ自分が独身だった頃に、父と子供の教育について議論をしたことがある。

20歳過ぎの頃の自分は対話主義者だった。
話せば分かるっていう考えである。

ところが、父は違うのである。

売春の是非の話になった時に、自分の見解として、
「何で、売春をしてはいけないのか、わからないので、売春をするなってことを子供に強制できない。」
と言ったら、
「売春をしちゃいけないっていうのは理屈じゃないんだ。じゃあ、お前に将来子供ができてもそう思うのか?」
「そう思うかもしれない。」
「本当にそうならお前は親にならないほうがいい。」
と言われたのである。

「いいか、売春を子供するってことになったら、そんなもんはぶん殴ってでもやめさせればいいんだ。理屈じゃないんだ」

この時の自分にはこの言葉の意味が正直よく分からなかった。
でも今の自分にはこれが非常によく分かる。

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初めてのエントリーから奇妙なタイトルですが、今回は"ささくれ"がテーマです。そう、指先にできるあのささくれです。
ささくれは親不孝の象徴とされたり、心が荒んだ状態を指したりしますが、別に「親不孝しましょう!」とか「荒みましょう!」というわけではありません。

ここでいう"ささくれ"とは、日々の生活のなかでの出来事をこころやあたまのなかで受けとめるための、ちょっとした"突起"のようなものとしてイメージしてください。

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 この記事をほぼ書きあがったタイミングで、ちょうど橋本府知事が携帯電話を学校へ持ってくることを禁止するという声明を出した。
 私はあまり時事問題について語るのは好きではないのだが、期せずしてタイムリーな話題になったわけである。
 
 さて、「学校裏サイト」「プロフ」などによる個人攻撃、有害サイトの問題がクローズアップされている。
 だから、携帯電話を買い与えてはいけない。という論調が現在盛んだ。子供の携帯の所持を規制する自治体の言い分もまさにこれである。
 「だから、携帯は与えてはいけない」「いやいや、フィルタリングによってブロックしてやればいい」「いやいや、それでもフィルターの網をくぐって裏サイトはドンドン作られる。」「もっと厳しくフィルタリングをかけるようにしよう。」
 といった議論が堂々巡りでなされている。

 この論点はもちろん重要なのではあるが、これは問題のほんの一部であり、最大の問題はほとんど議論されていないと私は考えている。

 未成年の頃にはもっと他にすべきことがある。

 精神の発達の途上においては、精神的な営みに時間を費やすべきなのだ。
 書物を精読する、絵画を描く、音楽に熱中する。
 その結果構築される精神の核は一生の財産となる。
 これらの営みを行うためには、まとまった時間が必要であることは皆さんも同意されると思う。
 
 5分間の細切れが12回あったとしても、1時間分の読書はできない。
 絵画を描くためには、描画される世界をまず自分の内面に取り込んだ後、今度は逆に外界に展開するために「描く」という作業を行う。内面世界に対象を保持し続ける持続時間が必要だ。
 音楽に熱中することも、音楽で語られているテーマを自分の中に取り込んだ後、自分の感情と重ね合わせることによる。れも音楽で語られる世界に没入するだけの時間がいる。
 
 これらの営為は、言い換えれば「持続する自己」との対話と言える。
 孤独な持続する対話を通じて、人間は人間としての己自身を作り上げる。

 携帯電話はこの持続する時間を、決定的に奪ってしまうことが問題なのだ。
 携帯はいつでも手元にあるが故に、電話がかかってくる、メールがやってくることに対して即座に応対することが求められる。
 かくして、現代人は携帯電話という束縛によって「自分ひとりである」貴重な時間を奪われる。
 結果、堅固な自己像を確立することに失敗する。強固な精神の土台がないため上に何かを積み上げることができない。ニートの増加は携帯電話の普及が大きく関係していると私は考えている。
 
 さて、この私の主張に対しいくつかの反論が考えられる。

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 親が忙しさにかまけて子供にかまってあげない代わりに、お小遣いをたくさんあげると子供がぐれることがあるという。本当だろうか?
 忙しい時にかまってやらずに、おもちゃを買ってごまかしたり、DVDを見せたりする。
 さらに子供が大きくなると、小遣いをあげて勝手に遊ばせるようにする。
 そんなことがたまにはあってもいいと思う。
 親だって人間だから、いつでも全身全霊で受け止めていたら疲れる。
 
 でもいつもそんなことをしていたらどうなるのだろう?
 人間は本気で相対されることで、初めて愛されていることを実感する。
 子供は親に対して全身全霊を要求する。親が子供のために全精力を注ぎ込むことを求める。これに対してごまかしたり、かわしたりすると愛されている実感を持てなくなる。
 いつもお金を与えていると、お金をあげている側は自分の貴重な物をあげることは愛をささげることだと勝手に錯覚する。お金をあげる側は愛していると思っているが、もらう側は愛されている実感を得ることができず、言いようのない索漠としたより所のない気分になる。

 お金は確かに貴重なものだが、普通に生活していれば、「いつの間にか」そこにあるものなのだ。漠然とただ稼ぐものである。場合によっては自分自身が全く働かなくても収入のある人すらもいる。そしてお金は使い切れないほど持っている人もいる。

 しかし、誰にとっても自身の生きている時間は有限である。
 生きているということは生命を燃焼させることだ。
 愛するということは、自身にとって一番貴重な、かけがえのない生命のひと時を、ある人のために燃焼し尽くすことだ。と自分は思う。
 子供に対してだけではない。恋人同士でもそうであろう。
 お金やプレゼントをあげても、自分自身の生命のひと時をその人のために使ったということにはならない。

 高価なプレゼントをもらう。
 それはうれしいことかも知れない。
 欲しくてもなかなか買えないものであればまさにそうだろう。
 ところが、それだけのことで愛されているという実感が得られるであろうか?という問いに対して、答えは明確に「否」である。

文責 田村義隆でした

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