教育の3つの柱は、「知育」「徳育」「体育」である。
最近は食育という言葉も使われているが、これはあくまでも上記の3つと同じぐらい、食べるということ自体が重要だという比喩である。
知育は学校でおこなわれていることの大半を占めており、また受験は学力によって合否が決まるため最も重要視されている。
また、徳育というものも折に触れて話題になる。道徳教育を見直そうとか、はたまた教育勅語を復活させよう(!)とか話題には事欠かない。
だが、体育が話題になるということは非常に少ない。言い換えれば、おろそかにされているといってもいい。
ところが実際には生きていくうえで最も頼りになるのは体の力。言い換えれば体力(ほとんど言い換えてないな・・・)。
「体だけが資本だから」という言葉もよく聞かれる。裸一貫になっても、頑健な体があればやり直しが利く。そのためには、食もさることながら運動が欠かせない。
必要なときに必要なだけパワーを発揮することができ、望む通りのしなやかな動きができ、かつ疲労しにくい体になること、それが真の体力である。
様々なところで、自らが望むように体を動かすことができることは、行動の自由を大きく広げる。
体力がない身体というのは、鉄球を体につないで動いているようなものだ。普段はそれを意識しなくても、行動することを億劫にする。体力の有無は精神のありようまで左右する。
そのように重要な体力づくりであるが、学校教育の場において体育教育は実にお寒い限りだと思うのだ。
1.競技力を高めるということにのみ重点が置かれており、健康な体を作るという視点が軽視されている。
競技力を高めることを否定するつもりは毛頭ないのだが、スポーツを生業とする人はごく一握りである。スポーツは大多数の人にとってはレクリエーションである。そのレクリエーションのために偏った体を作ったり、壊したりする。
高校球児が肩を痛めてしまい、正常には戻らなくなってしまったというような話もよく聞く。本末転倒以外の何物でもない。
2.根性論に偏っている。
根性を養うというところに、重点を置いている指導者が多い。
巨人の星に代表される梶原一騎のマンガは私は大好きだが、悪影響はいまだに大きいと思っている。
3.方法が根本的に間違っている。
運動にとって大切な原則はいくつかある。
その中でも非常に重要な原則がまったく理解されていない。
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