分かりやすいものは面白い。
とかく人間は白黒をつけたがるものだ。
マスコミの論調はまさしくこの上に成り立っている。
コメンテーターはまったく事件や、政治の現場などから無関係な安全なところにいる。物事の本質をわかってもいないのに、無責任にそれは正しくないと断定する。
実際に事件を起こした人には、同情に値する理由があるかも知れない。ひょっとしたら実際は逮捕された人は冤罪かもしれない。
決定に至った政策についても、やむにやまれぬ妥協の産物であることがほとんどだ。決定に至る苦渋の過程を知らず、知ろうともせず、一刀両断に切って捨てる。
さて例を挙げて、一刀両断にすることの危険性について論じてみたい。
実名報道の問題を例に挙げてみよう。
未成年者が残虐な犯罪を行った際に、実名を報道するかしないかという問題。
- 判断能力が十分でない少年の犯罪に対して実名を報道するのは酷である。また、更生して社会復帰する際の妨げになるため、報道すべきではない。
- 少年であるということを考慮に入れても、残虐な罪を犯したのであれば、報道されてしかるべきである。
この二つのいずれかに大多数の論調は集約される。またコメンテーターは2.を支持したいという立場を取ることが多い。
私はいつも思うのだが、どうしていつもこのような両極端になってしまうのか?と不思議なのだ。
もっと、深く掘り下げて考えてみると、
「そもそも、実名報道は必要なのか?」
という問題がある。
さらに言うならば、
「個人が犯した犯罪を報道することの意義は、どこにあるのだろうか?」
という問題に突き当たるのである。
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