
4月11日(日)、福岡市立南市民センターホールで開催された「子どもミュージカル公演 ドロシーからの手紙 〜オズの魔法使い〜2010」にお招きいただきました。NPO法人子ども文化コミュニティが主催する「遊びと学びのコミュニティスクール シアターコース」に参加している子どもたちが、一年間の活動の成果を披露する晴れの舞台です。ダブルキャストで2公演、約800席のホールがいずれもほぼ満席という盛況でした。
言うまでもないことですが、こうした事業が今日おこなわれる意義は、子どもたちが完成度の高い舞台公演を実現することだけでなく、活動のプロセスにおける学びにこそあります。メディア論に取り組んでいる僕の立場からみて、改めて興味深く感じたところが、大きく分けて二つありました。
まず一つ目は、一年間の活動のなかに体験型学習としてのワークショップが巧みに織り込まれ、決して教条的ないし啓蒙的でないやり方で、子どもたちの育成が取り組まれているということでした。
そもそも、舞台芸術を媒介として親子がともに学ぶという社会教育は、1960年代に全国各地で興隆した市民サークル活動に起源を見出すことができます。その活動の中核は、優れた演劇を親子で定期的に鑑賞することでした。評論家の大宅壮一が、ラジオやテレビが戦後復興期の日本社会に及ぼす効果について、「一億総白痴化」運動と評したのが1957年のこと。60年代を通じて普及を果たしたテレビをはじめ、急速に商業主義的な発展を遂げていたマスメディアの弊害に危惧し、子どもたちに質の良いメディアを与えて、教育していこうという理想にもとづいていました。こうした営みが80年代以降、テレビ番組をめぐる問題を批判的に取り上げ、議論していこうとする市民団体の運動へと連なり、日本におけるメディアリテラシーの源流のひとつを成したといえます。
ただし、良い/悪いメディアをあらかじめ素朴に想定してしまうと、特定の思考や文化の抑圧につながってしまい、ともすれば過剰に保護主義的な営みになってしまいます。それに対して、インターネットやケータイが普及した2000年代以降、メディアの情報を批判的に受容することと、それを活用して創造的に表現することを表裏一体の活動として捉えるのが、新しいメディアリテラシーの潮流となってきました。さまざまな年齢の子どもたちが、共同的な創作活動を通じて学び合っていくというコンセプトは、批判的受容にとどまらず、表現に踏み込むというメディアリテラシーの転回と共鳴しているといえるでしょう。
子どもたちは実際、一年を通してダンスのレッスンを受けるだけでなく、放送局が視聴者との関係を組み換えるためのメディアリテラシー実践ワークショップに参加したり、インターネットを介した国際交流を体験したり、さまざまなメディアを活用した表現活動に身を置くことによって、ひとりひとりが目覚ましい成長を遂げてきたようでした。
そして二つ目の特徴は、こうした社会教育活動に家庭が子どもを委ねてしまうのではなく、親が積極的に関わることのできるワークショップが用意されていることでした。ライオンが住んでいる森の木々、オズの顔や気球などは、家庭から持ち寄った古着を用いて、親子が一緒になって繋ぎ合わせ、制作されたそうです。この事業が子どもたちの育成に寄与するだけでなく、活動を通じて年齢の異なる子どもたちが交流し合い、親子が互いに学び合い、さらには親どうしが関係を深めることによって、地域コミュニティを再生することが明確に企図されているといえます。
「遊びと学びのコミュニティスクール シアターコース」は、3年目の公演を無事に終えて、現在2010年度の参加者を募集しているそうです。3年といえば、中学校や高等学校のPTAであれば、親子ともども丸ごと入れ替わってしまう期間です。それに対して、粘り強く地域に根ざした活動を持続しているNPOのなかで、子ども文化コミュニティの営みは、メディア論的に意義のある社会教育活動のモデルケースのひとつといえると思います。
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