ファミリーの1歩先には親子スタイル

田村 義隆

引きこもりの子供に与えられるもの

学校にも行けず、働くことも出来ないという子供がいる。

その子供は果たして「学校に行くことも、働くことも嫌い」なのであろうか?

嫌いなことは確かである。嫌いでなければ行けるわけだから。

だからといって、叱咤すればいいだろうのか?叱咤してもどうにもならないということは親が一番わかっているはず。
真に子供の望むものとはなんだろうか?

それは、恐らくは自分が生きていることが世の中にとって、何か意味があることを実感できることなのだと私は考えている。

彼はもっとも端的に表現された例が秋葉原の連続殺傷事件である。
彼は子供でも引きこもりでもないが、現代の思春期の青年の心理を端的に表現した例の一つと言っていい。

昔はこのような問題は起こりえなかった。
家には子供を置いておく余裕はなかったし、社会は成長期にあって労働力を否が応でも必要としていた。社会は労働を通じて社会と個人は互いに相互作用するものだということを教えてもくれた。

自分は何なのか?

ということは、他者との関わりを通じてしか体得できない。
他者と関わらなくていい、あるいは他者との関わりが希薄である、あるいは自分の努力が他者に何ら影響を及ぼさないとなると、自分の生きている意味がわからない。
いてもいなくても同じだということになる。
実際に、そのようなメッセージを社会は個人に対して発しているのだ。

生きていく意味を説かれても空しい。と悩んでいる者は思う。

引きこもり、若者の自殺、あるいは他殺は根が一つである。

自分が生きていて、生きていることが社会にとって意味があることが実感できないということが原因なのだ。

引きこもっている若者が、生きていくことの意味がないと思って、それに絶望しきってしまえば自殺するし、あるいは他人を殺すということは究極の自分の存在意義の表現だと思い、ついにはそれしかないと思えば他人を殺すことも場合によってはある。

実際に秋葉原の連続殺傷事件の加藤被告は、2ちゃんねるでは「神」とまで呼ばれているのはなぜか?

それは彼の行動に強い共感を感じるからに他ならない。

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戸塚ヨットスクールが求められている

茨城県土浦市の荒川沖駅の連続殺傷事件は皆さんも覚えていることだろう。
そしてまた、収監されてからの容疑者の言動について苛立ちを感じている人も多いと思う。

私はこの問題は非常に根が深く、現代の病理を端的に表している事件だと考えている。
その理由は、この犯罪を犯した青年が特殊な人物だと思えないからである。

現代人に蔓延する仮想的有能感がこのような犯罪を引き起こしたというのが自分の考えである。

仮想的有能感とは、実際には社会的に何も評価されうるものがないにもかかわらず、他人を見下すことで自分自身の自我を保とうという一種の心の状態だ。
何の根拠もなしに「俺以外みんな馬鹿」って思っているっていう状態。ところが、これは自信のなさの裏返しなので、内面は非常に傷つきやすい。もし、この仮想的有能感に対して、批判をするものがあれば敵意をむき出しにする。

キレやすかったという高校時代の知人たちの証言はそれを示しているのではないか?
彼が妹を殺そうと思ったというのは、彼のことをおそらく日常的に馬鹿にしていたためだろう。そのこと自体が彼の自我の存在の基盤を根本的に危険にさらしていたのではないか?
当初は大学への進学を希望していたというが、それに挫折し、就職ということになり、それまで抱いていた有能感は完全に仮想的有能感に取って代わらざるを得なかった。就職活動をしなかったということだが、それは当然だろう。
大学に学力的に行けないがために就職するなんてことをプライドが認めないのだ。

ついにあの凶行に至ったのは、仮想的有能感と現実のギャップが耐えがたくなるほどまでに広がってしまったためだというのが私の仮説である。
有能感を持っている彼は実際のところ、社会的には何の意味、あるいはなんら価値として評価されることもないニートであるという現実。

そんな彼であるが社会的に大きな力を持つ手段が実際に一つだけあった。
殺人しかも大量虐殺とも言うべき殺人である。
もともとは小学校に行って殺したかったというのは、無抵抗で逃げる足の遅い小学生であれば大量に殺すことが出来たからだ。それが卒業式という大人がたくさん集まっている場で実行が不可能だったので、次善の策としてあのような行きずりの殺人になったというわけだ。
本当は、何十人出来ることなら何百人、さらに言うならば大量破壊兵器でも持っていたら使いたかったことだろう。
もし、今の報道の様子を見ることが出来たらさぞかし愉快に思うに違いない。
「反省の言葉はなかった。」って当たり前である。

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[田村 義隆]
(2010年05月17日 22:32) 個別ページ

正義を教えるのか保身を教えるのか

中国が大変だ。
グーグルは政府の検閲に反対し撤退した。

思い出すのが大学生の頃。

ちょうど天安門事件があった。
事件があったときに私が中国語を受講していたが、そのときの講師が中国の方だった。
当時40歳ぐらいの女性の方だったのだが、日本人でも話さないような美しい日本語を流暢に話す先生だった。

知識人らしい教養の深さ、知性に裏付けられた上品さ、高潔さを感じさせる人柄だった。

天安門事件が起きたときに、

「私は中国に帰ることにしました。日本でしかも大学で働いている私は中国の政府からは、私や私の家族はスパイだと思われていることでしょう。
 中国に帰ったら捕まってしまって二度と日本に帰ってくることはできないかもしれません。殺されるかもしれません。それでも私は中国に残してきている家族や友人たちが心配でなりません。手紙や電話では連絡が取れないのです。」

中国語の入門である教科書の文章に、

「天安門には行きましたか?」
「はい、行きました。」
「どうでしたか?」
「はい、とってもよかったです。」

という文章が載っていたのが非常に皮肉だった。

そして、その次の週は中国語は休講になり、その次の週も休講になり、1ヶ月ほど休講が続き、講師が変わった。

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波平は駄目だ

サザエさんを見ていると腹立たしいことがある。
波平のカツオに対する態度のことだ。

カツオがいたずらをしたり、とんでもない点数の答案を持って帰ってきても、怒鳴るだけというのが実によろしくないと思うわけだ。
もし、生きていくうえで学力なんか関係ないというポリシーであれば、怒らなければいい。
怒るのだから、問題視しているわけだ。
問題視しているのだから、改善するように仕向けるべきである。

ところがまったく改善しようという意思が感じられない。
カツオを怒鳴り散らしてそれで終わりにする。
カツオからすると実に楽だ。
怒鳴られている最中、うなだれて嵐が過ぎ去るのをひたすら待っていればいい。
実際にカツオの態度にはそんな気持ちがありありと表れているではないか。

あの怒り方のどこがいけないのか?
勉強しないのがいけないということはわかっている。
ならば、どうすれば勉強するようになるのか。
成績が悪いことに焦点を当てるのではなく、どうして勉強しないのか?ということにこそ焦点は当てられなければならない。

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一家で遊ぶLEGO

レゴって子供のおもちゃだと思っていたのだが、それは間違いだった。
実はとんでもなく、奥が深い遊びである。
あんな様々な遊び方のできる、すごいおもちゃを小さい子供だけに独占させてしまってはいけない!
様々な造形を追及するという遊びはもちろん王道なのだけど、モーターとかギアとかコンピュータの制御ユニットというようなパーツも売っていたりする。
コンピュータ制御による、本格的な2足歩行ロボットを作ったりというとんでもない遊び方もできるわけだ。
また、ゼンマイとか使って非力なパワーながら、いろいろ面白い動きをするものをつくったりとかそんな遊びもこれまた面白い。
たとえばこんなもの。

四輪駆動レゴ開発事業団試作機第8号

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