ファミリーの1歩先には親子スタイル

親子スタイルって?
親子スタイルの7つの魔法
親子力アップは社会力アップ
親子スタイル流ワークバランス
親子スタイルギャラリー
メルマガー親子スタイル

田村 義隆
<< 1  2  3  4  5

自分は子供に本を読めといったことは一度もない。
基本的に読書は娯楽だと思っているので、本を読むことに執着していないのである。
平均すると年間に本を百冊ぐらいは読んでいるが、本というものが世の中からなくなってしまったとしてもそれ程困らない気がする。

しかしながら、息子のあまりの語彙のなさに唖然として、本を読ませなければならんということに気がついたのだ。

息子は小さいころから図鑑は好きだった。
小学校入学前などは甲虫が大好きで、自分が見ても見分けがつかないカブトムシどもを何百種類も覚え、博物館の学芸員を驚かせたりしていた。

小学校の低学年からは地図が非常に好きになり、市の地図を穴が開くほど眺めては地名をむやみやたらに覚え、幼少期の無尽蔵ともいえる記憶力を無意味に使いまくっていた。
それもまた頭のトレーニングだし、これでいいのだと思っていたわけだ。

ところが、まったくドラマの筋書きがわからなかったり、マンガすらも読めないということが判明しこりゃちょっとまずいなあと思った次第なのである。
図鑑も本だから図鑑を読んでいればいい、興味のあるものを読んでいればちゃんと頭は鍛えられると考えていたのだが、どうやらそれはやっぱり違うらしい。
「ぴあ」が世の中に流布し始めたときに、この雑誌は活字文化を破壊する書籍であると言った言論人がいたが、真否はともかく情報と文章は違うものだと改めて思ったのだ。

自分は子供の頃は本を読んでいた。
まず図鑑はとにかく好きだったし、学研の図鑑を買ってもらうのは何よりも楽しみだった。
でも図鑑だけを読んでいたのではなかった。

書棚に並んでいた父親が読んでいた中国の古典、特に史記とか老子とか好きでいつも読んでいた。

子供を読書好きにしようと思ったら親が読んでやったり、親が本を読む姿を見せることがいいのだという。

ポチッと一票↓↓↓お願いします
人気ブログランキングへ にほんブログ村 子育てブログ 第2次反
抗期(思春期)へ

続きを読む

自分はかつてずっとサービス業に従事してきたので、平日のみ休みで、かつ祝日は必ず出勤だった。
お盆や正月も出勤。

平日も休んでいるかというと決してそんなこともなくて、一ヶ月に一度も休みが取れないというようなこともよくあった。
多分勝間和代氏などに言わせれば、要領が悪いからなどと叱られるのだろうが仕方がないこともあると思う。

日本という国は斜陽化に向かっていて、個々の企業は何かを変革しない限りは売上は右肩下がりだ。変革をする、しないというのは経営者層の判断であり、個々の従業員つまり兵隊には選ぶ権利はない。

リストラが進んで正社員の人数が三分の一という状態で、業務をやるとなると断るなんていう選択肢はなくなって来る。月間200時間ぐらいの残業が恒常化する。そりゃそうだ。社員数3分の1だもん。

最上階の吹き抜けに立ってふっと下を見ると、下に吸い込まれそうだった。
「ここ来ると飛び降りたくなるよね。」
「うん、なるなる!」
ってそんな会話を同僚とよくしたものである。

まだ自分などは当時若かったので、大丈夫だったが50歳ぐらいの社員になると、疲労の余りまっすぐに歩けない人とかが出てくる。

家族のことなど本当に省みる暇とかない。

自分が生きるのに精一杯。生きるというか生命を維持するという表現が正しいか。
家に帰っても本当に3、4時間とか寝るだけである。

これで家族に何かしてやれるか?
子供がいる社員の家は本当に母子家庭のような状態だった。

こんな状態で、家族のため、子供のために一体何をしてやれるのか?
まず、自分のこと。それで手一杯。
名ばかり店長とかみんなこんな状態だと思う。

子供の夏休みの間に一度も休みを取れなかった時は、本当に切なくて泣きそうだった。

「運動会とか学校で何かやるときに来て欲しいです。
 毎日帰って一緒にご飯を食べたりしたいです。
 日曜日とかいっしょに遊んで欲しいです。」

というへたくそな文字の子供の手紙を妻から受け取ったときも、実にやばかった。

ポチッと一票↓↓↓お願いします
人気ブログランキングへ にほんブログ村 子育てブログ 第2次反
抗期(思春期)へ

続きを読む

子供は学校を通じて地域に分かちがたく結びついている。
お母さんは子供を通じて地域に関わらねばならない。
子供会があったり、PTAの行事があったり、子供の友達をもてなしたり・・・、否が応でも子供を通じて地域につながっていく。
お母さんはそれら行事などを通じて、お母さんたちや子供たちと人間関係ができていく。

近隣で買い物をしたり、習い事に連れて行ったり、ファミレスでお茶したり、公園で休んだり、図書館に行ったり、フィットネスクラブなどに通ったり、などなど人間関係のある人と会い、更に人間関係の絆は強くなる。
家を中心に地域に様々な線としてのつながりができ、更には面に発展していく。

ところがお父さんにはこのような接点が全くない。
基本的にお父さんにとって家というのは、休息のための拠点。
家と職場を往復する。
その往復しているという移動の間は、なんら社会的に誰ともつながっていない。存在していないのと一緒である。
育った場所にそのまま住んでいるのでなければ、お父さんというものは職場と家という2つのミニマムな点でしか生きていない。
あたかもこの2点に落下傘で降ってくるようなものである。
お母さんは地域という面に生きていてお父さんは点にしか生きていない。

もっと地域に関わりたい。人間関係を広げたい。そう思うのも自然な成り行きだと思う。

「おやじの会」というものが全国に立ち上がってきている。
子供を通じて地域につながる試みである。

http://www.ichinoseki-net.jp/oyaji/link/index.html

子供の行事をお父さんたちが主催して、実施するという学校単位のボランティア活動だ。
これが結構面白い。
お母さんの活躍するPTAとはまた違って、職業人たちの集いであるところがユニークだ。色々な職業の人が集まって、自分の得意分野を生かして活躍する。異業種交流会と違って、実際にその人の特技が見られるのが素晴らしい。

また職業を持っているのでイベントにいつも参加できるとは限らないので、拘束力がなくまったりした感じ。義務感ではなく純粋に楽しみでやるところがナイスである。

私のいるおやじの会は流しそうめんをしたり、焚き火をしたり、星の観察をしたり、実に多彩な活動を行っている。
興味のあるお父さんは自分の子供の通っている学校に、おやじの会があるか調べてみるとよいだろう。また、なければ自分で作ってしまうっていうのもOKかと思う次第である。

文責:田村義隆

親子スタイルアドバイス
■お勧めの対象 主に小学生をお持ちのお父さん
■コメント おやじの会はPTAとは違い義務ではなく、緩やかなボランティア的活動です。多彩でユニークな活動が全国で行われており、とても面白く是非参加をお勧めします。
■参考 http://www.ichinoseki-net.jp/oyaji/link/index.html
ポチッと一票↓↓↓お願いします
人気ブログランキングへ にほんブログ村 子育てブログ 第2次反
抗期(思春期)へ

メールマガジンをたくさん購読しているが、ほとんど読まない。
しかしながら、宋文洲氏のメルマガは必ず読む。
非常に面白い。

宋文洲のメールマガジン

なんと言っても面白いのが敵を作ることを恐れないことだ。
アナウンサーの吉田照美氏が「嫌われることを恐れていたら面白い番組はできない。」と語っていたがまさしくその通り。
「誤解を恐れずに言う」というスタンスが貫かれていて、読んでいて爽やかである。

そうして、技巧をまったく意識させない、自然で明瞭な文章が素晴らしい。
宋文洲氏はNHKの「カンゴロンゴ」という漢文の古典から、教訓を学ぶはちゃめちゃなバラエティ番組に出演もしていた。私の大好きな作家故高橋和己もそうだが、やはり漢文を深く学んだ人の文章は違うと思う。

さて、本題、

家は心にある
という宋氏の小さなエッセイを取り上げたい。

ポチッと一票↓↓↓お願いします
人気ブログランキングへ にほんブログ村 子育てブログ 第2次反
抗期(思春期)へ

続きを読む
[田村 義隆]
(2009年8月17日 19:50) | コメント(2)

人間を人間としている本質とは何だろう?
心理学者のシュナイダーは、人間の異常性格を10パターンの類型に分類した。
その10パターンの類型の中に「情性欠如」という性格がある。
一言で言うならば「冷たい人」である。

思いやりがなく、残酷であるという性格だ。
この性格属性に特徴的なのが想像力の欠如であると言われている。
想像力がないということはどういうことか?

人の気持ちに対して共感しようとしないことだ。

秋葉原の連続殺傷事件から1年がたち、加藤智大容疑者がまた話題になっている。このことについては前から書いてみたかったので、書いてみた次第である。

さて、世の中の人々には彼の行為が理解できないという。

しかし、理解できないということは、彼の考え方に対して一種の共通性を持っているといえるのではないか?と私は思うのである。

何故人を殺したのか?
私は彼の気持ちを想像する。
あれこれ想いをめぐらせていくとわかる気がする。というかよくわかる。
(こう書くと、「お前も人を殺したいのか?」と短絡的な批判をする人が出てくるが、それは想像力の欠如した、他人の気持ちを思いやらない人だと私は断言したい)

「自分は特別だ。世界で唯一の価値のある人間だ。
しかしながら、今の境遇は不遇だ。自分のあるべき状況ではない。自分がこんな不遇な状況にあるのは、家族が悪い、周りのみんなが悪い、世の中全てが自分を正当に評価しないのが悪い。」
と思いたいのだけれども、現実の自分の矮小さは頭の中ではよく分かっている。

彼が2ちゃんねるに、鬱屈した気分をぶつけると、バーチャルなコミュニティの中でも慰める人がいたという。
でも、彼は慰められれば慰められるほど、どうせ自分なんかというネガティブな発言を繰り返した。
それは、やはり慰められたかったからだろう。
自分のことを低く貶めて語れば、「いやあ、そんなことはないよ。」と誰かが言ってくれる。それを期待しているわけだ。でも、慰められれば慰められるほどに、自分のこと本当は何も分からないくせにと思ったり、自分の心のさもしさに更に自身が貶められたりして、また愚痴を言うという負のスパイラルに陥る。
・・・という気持ちは分かるが、上手く表現できない。

ついには誰も彼の発言に対して何も反応しなくなったという。
当然のことである。
実際、身の回りにそのような発言をする人がいたらうっとうしくってかなわない。

ポチッと一票↓↓↓お願いします
人気ブログランキングへ にほんブログ村 子育てブログ 第2次反
抗期(思春期)へ

続きを読む
<< 1  2  3  4  5

コミュニティサイトなら(東京・神奈川)のPlusプラス
女性・地域・エコ・親子などのコミュニティサイトの制作はPlusプラスへ

親子スタイルセミナーを開催しませんか?

最新の記事


カテゴリ一覧


最近のコメント


過去の記事


おススメのブログ&サイト
このブログを購読する